自分が本当は養子だったとわかったら。そしてそれまでの記憶が本当なのかがわからなくなってしまったら。自分っていったい何だろう、そんな状態から抜け出せなくなってしまったら。皆さんはどう思うでしょうか?
というわけで今回は、真正面から自分とは、そして記憶とは何かととらえなおそうとする頼りなげでありながら勇気のある主人公のごく短い旅路を描いた作品をご紹介します。
記憶の技法について
作者:吉野 朔実
巻数:全1巻
簡単なあらすじ
舞台は西東京と福岡。主人公はそこに住む素朴な少しおっとりとした女子高生。自分が本当は養子だと知ったきっかけはごく小さなこと。
修学旅行が韓国に変更になってパスポートを取得しなくてはならなくなったのです。学校に提出するために取られた戸籍にはほかの生徒の戸籍には書いていない「民法」の文字。
主人公はまず民法を探り出し、自分が特別養子縁組でその家に迎え入れられたことを知ってしまうのです。それまでの自分は一体何だったんだろう。家族って何だろう。そして自分に今まで残っていた記憶ってなんだったんだろう。
迷う主人公は勇気を奮い起こして自分の出自を自らの手で探り出そうと旅に出ます。修学旅行と偽って、親を欺き友人たちを欺いて一人戸籍に書かれた「福岡」へ。
世間知らずなのにたった一人で難しい旅に立ち向かおうとする頼りない女の子のために、たまたまその事実を知ってしまったクラスの違う男子生徒が旅のセッティングを手伝い、ついには自分自身の修学旅行も捨て、一緒に福岡へ向かいます。
ここが見どころ
どこまでも頼りないながら真剣な主人公に向けて、旅の道連れたる男子生徒が寄り添いながら冷静で的確な指摘を繰り返していきます。その言葉に人生の知恵がちりばめられているのがこの作品の一番の見どころです。
作品冒頭に友人を欺こうとするけれどうまく言えない主人公に、まず諭します。「嘘をつくときは、本当を混ぜること。シナリオは嘘でも気持ちが本当なら人は信じてしまうものだよ。」
こんな風に主人公に生き抜く方法を授けていくのです。
また、養子に出されるきっかけとなった思い切り暗い事情が分かってしまっても、それでも自分の確かめたかったものは何なのかをはっきりさせて決して曲げない主人公の芯の強さ。時折画面いっぱいに描かれる福岡の風景の鮮やかさ。最後に東京駅にたどり着いたときにそれまで黙って強く引っ張っていったはずの男子生徒が吐き出した、一緒についてきてたその切なすぎる理由。
どれもこれもがギリギリのバランスで画面でせめぎあっていて、短い作品ながら味わい深いドラマになっています。
こんな人におすすめ
この作品を描いた吉野朔実さんは数年前に急死されています。吉野作品を読める時間は残り少ないです。
作家たちにまで愛されるきめ細やかな心理設定。今を少しでも迷う人には吉野さんの作品を手に取ってほしく思います。必ずどこかに迷う人がこれ以上迷わなくて済む吉野さんらしい言葉がちりばめられているからです。