突然ですが……
「千早ぶる 神代もきかず 龍田川 からくれなゐに 水くくるとは」と良く透る声音で聞こえてきそうな語句。枕詞の「千早」とは勢い「神」にかかる枕詞で
- いち=激い勢いで
- はや=敏捷に
- ぶる=ふるまう
という言葉を縮めたものです。
さて、なぜ古今集なのかというとこの百人一首を題材とした少女漫画「ちはやふる」の綾瀬千早と関係があるからと答えるべきでしょう。ということで今回は「ちはやふる」について書いていこうと思います。
概要
この物語は競技かるたでクイーンを目指すヒロイン綾瀬千早の物語です。
カルタ取りというものは小学校の頃に嗜んだ人も多いと思われます。のっそりとしてどこか優雅であり、御手付きなどがあり札を取ったものが勝ちというイメージがあります。
しかし、この漫画で描かれる競技かるたというものは、音感を繊細に表現し、より早く、それこそ枕詞の出だしすら謳わせないくらいの速さで札を攫う。その熱を凝縮した漫画ともいえます。
競技カルタはめちゃくちゃ熱い!
競技というだけあって、競うわけですから速さは重要です。しかし、その一つ一つに所作があり、言葉の大切さを伝えてくれる物語はなるほどと勉強させてくれる部分も多いです。
ただ人より早く取るというものではなく、その札それぞれに愛着をもって接しようとする選手たちの考え方、戦略、それらを競技として見出した日本の遊戯。
雅な姿とは裏腹にスポーツ選手顔負けの練習量。さらに1試合にかける集中力と記憶力。その記憶も次の試合にはリセットさせる。まさに肉体と頭を同時に使うことがカルタという競技です。
感想
主人公の生い立ちも共感を持てます。主人公千早には姉がいて、その姉はモデルです。小学生の千早はそんな姉を尊敬しています。そして姉の夢を応援することが自分の夢だと思っていました。
しかし福井からの転校生綿谷新と出会い、「自分のことでないと夢にしてはいけない」 と諭され、そして真摯にカルタに臨む綿谷の姿に感化されます。更にその才能を見いだされ魅力に惹きこまれる千早。高校生となり、かるた部を発足。競技かるた団体戦に出る為、仲間を募り大会へ臨んでいきます。
カルタバカ、残念美人などと呼ばれる綾瀬千早。勉強もスポーツも優秀なモテ男、真島太一。カルタを一時諦めていた西田優征、ただ勉強する事だけにしか居場所を感じない駒野勉や呉服屋で和服をこよなく愛する大江奏を仲間に団体競技かるたへと乗り出す。
何もかもが始まったばかり、周りに理解されず、侮られる競技かるたの存在は確かに傍から見たらマイナーで知らなければそう思われるんだろうと考えてしまいます。接点がなく、興味がなければきっとそうなのでしょう。
私もこの漫画で初めて競技かるたという存在を知りました。それまでは百人一首自体を侮っていました。小学校の時に百人一首の和歌を覚えさせられ、正月前に体育館の寒気で震える中でカルタ取りをしたこともあります。その時は実に面倒であるとしか思えませんでした。
しかし、この漫画を見て彼らのひたむきさを見ると如何に自分の考えは浅はかなのかと考えさせられます。
人間模様。恋慕の関係。まさに百人一首そのままに人の心を謳うような熱さや情景を描いた漫画です。
部活といえばスポーツや芸術そういった分野に熱を込めた作品が多い中で、マイナーであり、卒業したらなんの意味があるの?と問われるような競技かるた。その表現は所々作品の中でも言われています。
しかし、そのひたむきに打ち込む彼らの姿は決してメジャーな部活に引けを取らない熱を持ち、周囲の無駄という言葉を黙らせる魅力があります。
なにかをただ一心にひたむきに突き進む姿。少女漫画特有の恋愛べったりの要素のなさも実に好感を持てて読みやすい。青春学園競技漫画というべきでしょうか。どこか醒めてしまった人たちに熱さというものを思い出してもらいたい。
そういう意味で「ちはやふる」は是非読んでほしい物語です。